基本情報
- 住所:京都市中京区今新在家西町38
- 御祭神:宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮能売大神(おおみやのめのおおおかみ)
- 授与所の時間:9:00~18:00
- 御朱印の種類:1種類
- 御朱印の初穂料:1種類
アクセス
阪急京都線”大宮駅”より徒歩約5分
京福電気鉄道嵐山本線”四条大宮駅”より徒歩約5分
京都市営地下鉄東西線”二条城前駅”より徒歩約11分
京都市営バス”壬生操車場前”より徒歩約3分
武信稲荷神社 は龍馬と一寸法師ゆかりの神社!
武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)は三条商店街の近くに鎮座している神社。藤原良相公が一族の名付けをしていたことから名付け命名ゆかりの神社としてしられています。
859年(貞観元年)、西三条大臣といわれていた藤原良相公により、勧学院(学問所)・延命院(医療施設)の守護神として創祀された神社。
その後、藤原武信が篤く信仰していたことから「武信稲荷神社」と称されるようになりました。
武信稲荷神社には幕末に活躍した坂本龍馬とその妻のおりょうについてのエピソードが伝わっています。
当時、神社の南には牢獄があり、そこにはおりょうの父がである楢崎将作が投獄されていました。龍馬とおりょうは父の面会に何度も訪れるも面会はできず、また龍馬が追われる身であったため神社の大木から様子を見ていたそう。
その後、龍馬は身を隠したため、おりょうは心配して行方を探し回ります。2人で何度も訪れた武信稲荷神社に来てみると榎に「龍」という文字が掘ってあり、おりょうは龍馬が生きていると安心。2人共通の知人を訪ね無事に再開を果たしました。
また、昔話で有名な一寸法師とも関わりがあります。
童謡の一寸法師には「京は三条の大臣殿に抱えられたる一寸法師」という歌詞が出てきます。
この三条の大臣殿とは当社を創祀した藤原良相公のことであり、武信稲荷神社は藤原氏の屋敷と学問所のあったところなので、一寸法師が暮らした舞台となった場所とされています。
本殿向かって左にあるひときわ目立つ龍。
2013(平成25)年、御神木であるエノキから一部空洞化した枝が落下。御神木の枝であることなどから容易に処分することはできず、その後チェンソーアーティストの方により龍に生まれ変わりました。
御朱印 について
武信稲荷神社では1種類の御朱印が拝受できます。
御朱印は本殿向かって右にある社務所でいただけます。
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