こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
烏丸高辻交差点から西に少し歩いたところに、「繁昌神社」という小さな神社が鎮座しています。地名の由来にもなっているこの神社は、「全国唯一の商売繁盛についての神社」と称しており、良縁成就などの信仰も集めています。
この記事では、繁昌神社の御朱印と歴史、奥の院「班女塚」などについてご紹介しています。
繁昌神社の御朱印について
繁昌神社では、通常1種類の御朱印がいただけます。
朱印料は300円で、基本的に書き置きのみ。
また、正月などには、期間限定の御朱印が出ることがあります。
授与所は無人なので、賽銭箱にお金を入れて自分で御朱印を取ります。
御朱印は全てビニールのフィルムに入れてあります。結構珍しいですよね。
商業開運のご利益があるという「そろばん玉のお守り」も授与してありました。
繁昌神社ってどんな神社?
御祭神とご利益
繁昌神社は「宗像三女神」をお祀りしています。
この三女神は、安芸の宮島・京都の神泉苑の御祭神と同体とされており、商売繁昌・家内安全・諸芸成就・良縁成就・悪縁消滅などのご利益があるといわれています。
- 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
- 田心姫命(たぎりひめのみこと)
- 湍津姫命(たきつひめのみこと)
歴史
社伝などによると、平安時代の清和天皇の代(858〜876)、この地には藤原繁成の邸宅があり、庭には「功徳池」という大きな池があったそうです。
延暦年間(901〜922)、功徳池の中島に宗像三女神「市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命」を安芸の宮島(広島県の厳島)から勧請し、お祀りしたのが繁昌神社の始まりといわれています。
江戸時代には「功徳院」と呼ばれ、真言宗のお寺によって管理されていましたが、明治の神仏習合により神社だけが残り、現在に至っています。
班女塚(はんにょつか)
繁昌神社から北西へ5分ほど歩いたところには、奥の院と呼ばれている「班女塚」があります。
繁昌神社から班女塚へのルート
この班女塚の由来については、鎌倉時代の説話集「宇治拾遺物語」に詳しく書いてありますが、めちゃくちゃ長いので簡潔に紹介します。
この地に住んでいた長門前司の娘が亡くなった後、遺体を運ぼうとしたところ、持ち上がらなくなった。
人々は「この地に留まりたいのだろう」と考え、塚を築いて葬った。
その後、この地は草も生えず、人も寄り付かない場所になり、塚だけが残された。
桃の神紋
御朱印などに使われている「桃の神紋」には、とある逸話が残っています。
藤原某氏の娘であった見目麗しき一人の姫は、その美貌ゆえ、清和天皇の寵愛を受けますが、周囲の妬みに合い、宮中を追われることになります。
不遇をはかなんで寂しく過ごす我が身を唐の国の故事になぞらえ、「班女(はんにょ)」と称したと言います。ある夜のこと、枕元に清らかな女神が現れ、己の定めを嘆くばかりの日々を送るのは止めて、皆の幸せ、男女の睦まじきを願うようにと諭します。
その時に手渡したのが、一本の桃の枝です。
(※説明書きより引用)
この逸話により、繁昌神社の神紋は「桃」になったといいます。
手水舎
神社の規模は小さいですが、手水場は立派でした!
竹筒の手水って断面がハートっぽくて好きなんですよね〜。
手水場の周りには、キレイなお花が咲いていてとても癒やされました。
基本情報まとめ
御朱印の種類 | 通常1種類 |
御朱印の朱印料 | 300円 |
時間 | 不明 |
御祭神 | 宗像三女神 |
住所 | 京都市下京区繁昌町308 |
公式HP | なし |
アクセス
- 京都市営バス”烏丸松原”より徒歩約2分
- 京都市営地下鉄烏丸線”四条駅”より徒歩約3分