基本情報
住所:京都市東山区粟田口鍛冶町1
御祭神:素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大己貴命(おほなむちのみこと)他十一柱
授与所の時間:8:30〜17:00
御朱印の種類:3種類
御朱印の初穂料:300円
アクセス
京都市営バス”神宮道”より徒歩約5分
京都市営地下鉄東西線”東山駅”より徒歩約7分
京都市営地下鉄東西線”蹴上駅”より徒歩約7分
粟田神社の詳細
東山区粟田口鍛冶町に鎮座している粟田神社(あわたじんじゃ)。境内には複数の摂末社が鎮座しています。
旧社号が感神院新宮であったため、鳥居には「感神院新宮」と書かれた扁額があります。
創建は平安時代の876(清和天皇貞観18)年の春、神祇官(じんぎかん/朝廷の祭祀を司る官庁の名前)と陰陽寮(おんみょうりょう/占いや暦などの編纂を担当する部署)が、「この年隣境に兵災ありて、秋には疫病多いに民を悩ます」と天皇に奏上しました。
清和天皇はすぐに勅願を発し、五畿七道の諸神に国家と民の安全を祈願しました。その際、従五位上出羽守藤原興世は勅使として感神院祇園社(八坂神社)に七日間祈願しました。
満願した夜、枕夢に立った大己貴神の言葉に従い、素戔嗚尊に縁のあるこの地に社を建てて神霊を祀りました。
また一説には上古、粟田氏の氏神さんとして創建されたとも伝えられています。
本殿です。粟田神社は京都を行き来する旅人たちが旅の安全を祈願してたことから旅立ち守護の神として信仰を集めています。
御朱印について
粟田神社の授与所では3種類の御朱印が拝受出来ます。
1.粟田神社の御朱印
右側に書いてある「粟田口」とは京の七口の一つで、平安・鎌倉時代は刀工粟田口派の人たちが住んでいました。
2.鍛冶神社の御朱印
鍛冶神社の御朱印です。
鍛冶神社とは粟田神社の末社で、御祭神は天目一箇神(あめのまひとつのかみ)、三条小鍛冶宗近命(さんじょうこかじむねちかのみこと)、粟田口藤四郎吉光命(あわたぐちとうしろうよしみつのみこと)。
三条小鍛冶宗近は平安時代、粟田口藤四郎吉光は鎌倉時代の刀工で、鍛冶の神である天目一箇神と共に祀られています。
境内には明治天皇の「太刀」の歌碑があります。
「真心をこめて錬ひしたちこそは乱れぬくにのまもりなりけれ」
3.合槌稲荷神社の御朱印
「せっかくお参りして頂いているのに申し訳ない」ということで、合槌稲荷神社の御朱印を粟田神社で預かることになったそうです。12月15日から粟田神社の授与所にて授与が開始。
右上には「三条小鍛冶宗近 小狐丸作時 相槌の神狐」と書かれています。キツネのイラストがとてもかわいいです。
合槌稲荷神社は三条通に面して鎮座している稲荷神社。刀剣・小狐丸ゆかりの神社としても知られています。
以下、由緒書引用。
合槌稲荷大明神の創建年代は不明ですが、粟田神社の向かいにご鎮座されます。
一条院から鎮護の名刀を打つように命じられた三条宗近が稲荷明神に成功祈願します。宗近祈願の満願の夜に童子が現れて合槌を願い、喜んだ宗近がこの童子の協力で、見事に名刀を鍛え、表に「小鍛冶宗近」裏に「小狐」と銘を切り「小狐丸」と名付けたとされます。
この伝説の舞台として合槌を務めた稲荷明神を祀っていたのが、現在の合槌稲荷神社であると伝えられます。
合槌稲荷神社は小さなお社ですが、とても綺麗に手入れされています。
粟田神社から合槌稲荷神社への地図。
京都の稲荷神社特集記事はこちら
御朱印は参道を登ってすぐの社務所でいただけます。