こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
京都市左京区にある「大蓮寺(だいれんじ)」。
安産祈願のお寺として知られ、十一面観音は洛陽三十三所観音霊場の第8番札所となっています。
この記事では、大蓮寺で頂ける御朱印を中心に、歴史や仏像などについて詳しくご紹介いたします。
大蓮寺の御朱印について
- 御朱印の種類:通常3種類
- 御朱印の朱印料:300円
- 時間:9:00〜16:30
大蓮寺では、通常3種類の御朱印が授与されています。
- 御本尊・阿弥陀如来の御朱印(代表的)
- 十一面観音の御朱印(洛陽三十三所観音霊場第8番)
- 薬師如来の御朱印
①「阿弥陀如来の御朱印」と②「十一面観音の御朱印」を画像付きでご紹介します。
阿弥陀如来の御朱印
大蓮寺の御本尊である阿弥陀如来の御朱印です。
特に霊場巡りなどをされていない方は、こちらを頂くといいと思います。
右上の朱印、中央の墨書き、左下の朱印に「安産(あんさん)」の文字が入っているのが特徴的です。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:あんさん 阿弥陀如来
左側:引接山 大蓮寺 - 朱印
右側:あんさんの寺
中央:梵字(キリーク)
左側:安産勅願所 大蓮寺印
十一面観音の御朱印
本堂内に安置されている「十一面観音」の御朱印です。
こちらは洛陽三十三所観音霊場の第8番の御朱印になります。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:十一面観音
左側:大蓮寺 - 朱印
右側:洛陽八番
中央:梵字(キャ)
左側:安産勅願所 大蓮寺印
洛陽三十三所観音霊場とは?
観音菩薩を祀る「京都市内の33ヶ寺」を巡る観音霊場のこと。
平安時代に後白河上皇が定めたとされ、明治初期の廃仏毀釈の影響で中断し、平成17年(2005)に復興された。
詳しくはコチラの記事をご覧ください!
(2024/11/21 08:39:58時点 Amazon調べ-詳細)
札所案内
1つ前の札所:第7番・長楽寺の御朱印情報
1つ次の札所:第9番・青龍寺の御朱印情報
大蓮寺の御朱印帳
大蓮寺では、走り坊さんの御朱印帳が授与されています。
走り坊さんとは、明治〜大正時代に京都中を走り回り、妊婦さんに御守を届けていた大蓮寺のお坊さん(旗玄教)のことです。
納経所
大蓮寺の御朱印と御朱印帳は、境内にある納経所で頂けます。
時間は「9:00〜16:30」。
納経所では、上で紹介したオリジナル御朱印帳の他にも、洛陽三十三所観音霊場専用御朱印帳や御守などが授与されています。
大蓮寺(京都)ってどんなお寺?
歴史
大蓮寺は、安土桃山時代の慶長5年(1600)、深誉上人によって創建されたお寺です。
深誉上人は、伏見の荒れ果てたお堂で金色に輝く阿弥陀如来像を発見。
誰も供養していていないことに心を痛めた深誉上人は大蓮寺を建立し、阿弥陀如来像を安置しました。
当時は五条若宮あたりにあったといわれています。
江戸時代の元禄年間(1688〜1704)頃、応仁の乱による荒廃から復興した真如堂は、行方知れずの阿弥陀如来像を探し回りました。
その後、大蓮寺の阿弥陀如来像が真如堂の阿弥陀如来像ということが判明。
大蓮寺は幕府から阿弥陀如来像の返還を命じられます。
残念に思った深誉上人が21日間念仏を称え続けたところ、成満の21日目の朝、なんと阿弥陀如来像が二体に分かれていました。その後、大蓮寺と真如堂で一体ずつ阿弥陀如来像を安置することになったと伝えられています。
仏像
明治元年(1868)、祇園社(八坂神社)の境内にあった観慶寺は、神仏分離による廃寺となります。
この時、観慶寺に安置されていた仏像や仏具は、大蓮寺にすべて移されました。
観慶寺から移された伝教大師・最澄作と伝えられる薬師如来像(観慶寺の旧本尊)や夜叉神明王像などは秘仏となっているのでその姿を拝むことは出来ませんが、洛陽三十三所観音霊場第8番札所・十一面観音菩薩はいつでも拝観出来ます。
大蓮寺(京都)へのアクセス
- 京都市営バス「東山仁王門」から徒歩約3分
- 京阪本線「三条駅」から徒歩約10分
大蓮寺(京都)の基本情報
御朱印の種類 | 通常3種類 |
御朱印の料金 | 300円 |
時間 | 9:00~16:30 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗旨 | 浄土宗 |
山号 | 引接山 |
札所等 | 洛陽三十三所観音霊場第8番 |
住所 | 京都市左京区正往寺町457 |
公式HP | http://www.anzan-no-tera.jp/ |