こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
京都市中京区の市役所近くにある「本能寺(ほんのうじ)」。
学校の授業で習った「本能寺の変」が起こったお寺として非常に有名です。
この記事では、本能寺で頂ける通常御朱印2種類と限定御朱印1種類を中心に、災難続きの歴史や本能寺の変ゆかりの寺社についても詳しくご紹介いたします!
本能寺の通常御朱印と御朱印帳について
- 御朱印の種類:通常2種類
- 御朱印の朱印料:300円
- 時間:9:00~17:00
本能寺では、通常2種類の御朱印が授与されています。
右側の「南無妙法蓮華経」は、正確には御朱印ではなく「御首題」といいます。
①妙法 | ②南無妙法蓮華経 |
---|---|
★代表的★ | 御首題 |
①妙法の御朱印
本能寺の代表的な「妙法」の御朱印です。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:妙法 法華宗
左側:洛中 大本山 本能寺 - 朱印
右側:本門八品、信長 本能寺(織田木瓜紋)
中央:信長公御廟所 大本山 本能寺(織田木瓜紋)
左側:本能寺印
このダイナミックな墨書きの感じ。
とってもお気に入りの御朱印です。
お気づきの方もいるかもしれませんが、こちらは「本能寺の変」が起こった日と同じ「6月2日」に頂いたものです。
以前から6月2日に頂きたいなぁと思っており、ようやく夢を叶えられました!!
②南無妙法蓮華経の御首題
続いて、本能寺でいただける「御首題」です。
御首題とは日蓮宗・法華宗で頂ける御朱印のことで、中央にお題目「南無妙法蓮華経」が書いてあるのが特徴。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:本門八品、南無妙法蓮華経、上行所傳(伝)
左側:法華宗 大本山 本能寺 - 朱印
右側:本門八品、信長 本能寺(織田木瓜紋)
中央:本門八品相応能弘之寺、大本山本能寺(丸結雁金紋)
左側:本能寺印
このササッと文字が伸びている感じがステキですね!
御朱印帳
本能寺では、非常に多くの種類の御朱印帳が授与されています。
私が訪れた時は、全部で13種類ありました。
御朱印帳はディスプレイにズラリと並べてあるので、好きなものを選んで頂いて見てくださいね〜!
ちなみに、超絶かっこいい御朱印帳袋もありましたよ!
本能寺の限定御朱印について
2022年4月から、本能寺境内にある大寶殿宝物館にて、名刀「薬研藤四郎(復元)」の公開が行われました。
これを記念して、「薬研藤四郎」の朱印が入った限定御朱印が授与されました。
こちらは書き置きのみで、朱印料は700円。
左側の織田信長のイラストがとってもかっこいいですね〜!!
刀剣の御朱印に興味がある方は、こちらの書籍をチェックしてみてくださいね!
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本能寺の御朱印と御朱印帳が頂ける場所
御朱印や御朱印帳などは、境内にある「御朱印所」で頂けます。
時間は「9:00~17:00」で、空いている時でも番号札を貰って待つ方式。
ちなみに、書き置き御朱印も用意されているので、御朱印帳を忘れた方も安心ですよ〜!
本能寺ってどんなお寺?
災難続きの歴史
ここからは、「災難続きの」本能寺の歴史をササッとご紹介いたします。
本能寺の起こりは、室町時代の応永22年(1415)。
本門法華宗の祖である日隆により、仏光寺油小路の地に「本応寺」として建立されたのが始まりです。
しかし、日蓮宗・妙本寺(妙顕寺)と対立したことにより、お堂はすぐに破壊されてしまいます。
その後は比叡山との対立などが色々あり、一時は大阪の堺まで逃れた本能寺でしたが、天文16・17年(1547・8)に四条坊門西洞院周辺に復興。
非常に広大な寺領を持ち、周りには堀・土居を築き、まるで城塞のような構えになりましたが、、、。
「本能寺の変」で焼失。
同じ地に再建工事が始まりますが、途中で豊臣秀吉からストップがかかり、現在地に移されることになりました。
本能寺の変からやっと復興した本能寺ですが、まだ災難が続きます。
天明8年(1788)の天明の大火、元治元年(1864)のどんどん焼けによって、さらに2度焼失。
その後は仮本堂を使用し、現在の本堂は昭和3年(1928)に建てられました。
そんな5回の焼失と再建を繰り返してきた本能寺では、「能」の「ヒヒ」の部分が「去」になっています。
これには「ヒ(火)が去る」という意味が込められているといわれ、「もう火事は勘弁してくれ・・・」という思いが伝わってきます。
ちなみに、境内の北側には、本能寺が運営している「ホテル本能寺」というホテルが建っています。
せっかくの京都旅行。本能寺の近くに泊まってみませんか?
本能寺の変
「敵は本能寺にあり!」で有名な「本能寺の変」。
天正10年(1582)6月2日の早朝、明智光秀は約1万3千の軍勢を率いて、本能寺に宿泊していた織田信長を襲撃。
信長は必死に対抗しますが、最期は自らお堂に火を放ち、自刃したといわれています。
光秀が本能寺の変を起こした理由については、未だに解明されていないため、「日本史最大の謎」とも言われています。
何が原因だったのか気になりますねぇ・・・。
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境内には、本能寺の変の後に織田信孝が建てた「信長を祀る『信長公廟』」も残されています。
ぜひ、コチラにも手をあわせてみてくださいね!
本能寺跡
上でも紹介したとおり、本能寺の変が起こった当時は、本能寺は別の場所にありました。
跡地には石碑が建てられており、本能寺の変の歴史を現在に伝えています。
ちなみに、この地からは、焼けた瓦や石垣などが多数出土しているそうですよ〜。
本能寺から本能寺跡までは、歩いていけないことも無いのですが、結構しんどいのでバスを使ったほうが良いと思います。
「本能寺の変」関連寺社
本能寺の変を起こす数日前、光秀は右京区にある愛宕山を参拝しています。
この時、「時は今 天が下知る 五月哉」という発句を詠んでおり、「『謀反の心情』を詠んでいるのでは?」ともいわれています。
愛宕山山頂の「愛宕神社」では、この発句の御朱印も授与されていますよ〜!
また、光秀は同じ愛宕山内にある「月輪寺」にも参拝。
月輪寺には、光秀が引いたという「おみくじ箱」が今でも残されています。
上京区の阿弥陀寺には、信長・信忠を始め、家臣たちのお墓が残されています。
毎年6月2日には「信長忌」の法要が営まれ、境内は多くの人々で賑わいます。
そんな阿弥陀寺では、とってもかっこいい「信長本廟」の御朱印も頂けます。
阿弥陀寺の御朱印・歴史・境内の様子などについては、コチラの記事をご覧ください!
本能寺へのアクセス
- 京都市営バス「京都市役所前」から徒歩すぐ
- 京都市営バス「河原町御池」から徒歩すぐ
- 京都市営地下鉄「京都市役所前」から徒歩すぐ
本能寺の基本情報
御朱印の種類 | 通常2種類 |
御朱印の値段 | 300円 |
受付時間 | 9:00~17:00 |
御本尊 | 十界大曼荼羅 |
宗旨 | 本門法華宗(大本山) |
拝観料 | 境内自由 |
住所 | 京都市中京区下本能寺前町522 |
公式HP | https://www.kyoto-honnouji.jp/ |