こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
千利休ゆかりの大徳寺塔頭「聚光院(じゅこういん)」。
通常は非公開となっており、京の冬の旅などで定期的に公開されているお寺です。
この記事では、聚光院で頂ける御朱印を中心に、歴史や庭園・茶室、障壁画などについてもご紹介したいと思います!
境内はすべて撮影禁止です。
聚光院の御朱印について
- 御朱印の種類:通常1種類
- 御朱印の朱印料:1000円
聚光院では、通常1種類の御朱印が授与されています。
釈迦如来の御朱印
聚光院の御本尊である釈迦如来の御朱印です。
- 墨書き
右側:奉拝
中央:本佛 釈迦如来
左側:日付、紫野 聚光院 - 朱印
中央:三宝印、**大徳寺聚光院
御朱印は書き置きのみで、拝観受付で頂くことが出来ました。
中央上の朱印は、三宝印と呼ばれるもので「佛法僧寶」と書いてあります。
この朱印の左側は「大徳寺聚光院」なのですが、一番右がわかりません…。
「紫野」でしょうか?
書き置き御朱印は、御朱印帳にのりで貼るのが一般的ですが、個人的にはフィルムで挟むだけの「御朱印ホルダー」や差し込むタイプの「書き置き御朱印 専用御朱印帳」をオススメしてます!
聚光院ってどんなお寺?
歴史と千利休
聚光院の起こりは、室町時代の永禄9年(1566)。
同7年に死亡した畿内の戦国武将・三好長慶の菩提を弔うため、子の吉継が創建したのが始まりです。
大徳寺の僧・笑嶺宗訢を開山とし、寺名は長慶の法名「聚光院殿前匠作眠室進近大禅定門」から名付けられたといいます。
なお、ガイドさんは「『光が聚まる』ようにという願いを込めて」名付けたと説明されていました。
文献には載っていないのですが、そういう意味もあるのでしょうね!
安土桃山時代には、茶人・千利休の菩提寺となり、現在は三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の菩提寺にもなっています。
境内には、千利休のお墓も残されていますよ!
千利休の死のきっかけとなった大徳寺の三門については、本坊の記事で紹介していますので、ぜひご覧ください。
庭園と茶室
石の数が多いことから「百積の庭」と呼ばれている方丈庭園は、史跡名勝天然記念物に指定されており、狩野永徳の下絵を基に、千利休が作庭したと伝えられています。
現在は苔生したグリーンの庭園ですが、昔は白砂だったそうです。
方丈の奥には、重要文化財に指定されている「閑隠席」「桝床席」の2つの茶室が建てられています。
閑隠席は千利休好みの茶室となっており、一説によれば、利休はここで切腹したと伝えられています。
障壁画
聚光院は狩野永徳作の「四季花鳥図」など、国宝に指定されている障壁画を複数所有しており、特別公開の際はその”複製”を見ることができます。
(本物は京都国立博物館に寄託)
ガイドさんの解説付きでじっくり拝観することができました!
複製とはいえ、迫力がものすごいです。
障壁画って奥が深くて、見てるとなんだか引き込まれそうになりました…!
ぜひ、特別公開の際に見に行ってみてくださいね〜!
聚光院へのアクセス
- 京都市営バス「建勲神社前」から徒歩約5分
- 京都市営バス「大徳寺前」から徒歩約5分
聚光院の基本情報
御朱印の種類 | 通常1種類 |
御朱印の値段 | 1000円(書き置きのみ) |
宗旨 | 臨済宗大徳寺派 |
御本尊 | 釈迦如来 |
住所 | 京都市北区紫野大徳寺町58 |
公式HP | なし |