こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
真言宗の開祖であり、令和の時代でも篤い信仰を集めている「弘法大師・空海」。
そんな空海ゆかりのお寺は日本各地にあり、どこまでが”史実”で、どこからが”伝説”なのか、もはやよくわからない状態になっています。
この記事では、複数の文献を元に、確実に「空海ゆかりのお寺」と言える京都のお寺を3つ選び、御朱印と共にご紹介。
空海のことを深く知って頂ければ嬉しいです。
なお、文章を読みやすくするため、年表記はすべて西暦にしています。
弘法大師・空海ゆかりの京都のお寺①:神護寺
まずは、右京区高雄の三尾の一つ「神護寺」。
高野山真言宗の遺跡本山となっているお寺です。
唐からの帰国後、京都入りが許された空海は、809年に高雄山寺(神護寺の前身)へ入寺。
翌年の810年、空海にとって初となる「国家鎮護の修法」を行い、高雄山寺を真言密教弘通の拠点としました。
その後、次に紹介する「乙訓寺」に約1年間移りましたが、812年に高雄山寺へ帰還。
同年11月、最澄ら4人に「金剛界灌頂」を伝授し、同年12月には、最澄ら14人に「胎蔵界灌頂」を授けました。
翌813年3月に行われた「金剛界灌頂」では、最澄の弟子・泰範が参加。
以来、泰範は空海側についたため、空海と最澄の関係が悪化していき、最終的に2人は決別することになります。
823年、空海は第52代・嵯峨天皇から賜った「東寺」の運営のため、約14年間住持を務めた高雄山寺を去りました。
翌824年、高雄山寺は一切を空海に付嘱し、寺名を「神護国祚真言寺(略して神護寺)」に改称。
元々、神護寺は無宗派の寺院だったのですが、空海の影響によって「真言宗の専宗寺院」に変化したわけです。
空海の名残はいくつか残っており、境内にある大師堂は、かつて空海が住房としていた「納涼房」を再建したもの。
内部には、高知県・金剛頂寺の空海像を模して造られた「板彫弘法大師像」が安置されています。
こちらの「閼伽井」は、空海が灌頂の浄水として使用したという井戸です。
「空海が自ら掘った」ともいわれていますが、あくまで伝承なので真相は不明。
神護寺へ向かう周山街道脇には、空海ゆかりの「清瀧宮」が鎮座しています。
空海が高雄山寺に入山した際、長安・青龍寺の「青龍権現(善女龍王)」を勧請し、高雄山寺の鎮守としたと伝えられています。
「青龍権現」が海を渡ったことから、さんずいを付けて「清瀧権現」と名付けられたようです。
アクセスと詳細記事
- 京都市営バス・JRバス「槇ノ尾」から徒歩約7分
弘法大師・空海ゆかりの京都のお寺②:乙訓寺
続いて、長岡京市にある「乙訓寺」。
推古天皇の勅願により、聖徳太子が創建したという古刹です。
811年、嵯峨天皇の任命を受け、空海は高雄山寺から乙訓寺へ移り、別当を務めました。
太政官符(811年11月9日)には、「空海の住む高雄山寺は不便なので、乙訓寺に移るように」などと記されています。
上で紹介したように、空海は約1年間で高雄山寺へ帰還しました。
この1年間に、最澄が空海を訪ねてきたり、境内で採れたミカンを嵯峨天皇に献上したりしています。
ミカンを献上ってちょっと微笑ましいですね。
乙訓寺の御本尊は「合体大師像」。
八幡神が「肩から下の弘法大師」、弘法大師が「首から上の八幡神」をモデルにそれぞれ彫り、組み合わせて1体にしたものといいます。
この件についてはあくまで伝承です。
どんなお姿か気になりますが、秘仏なので通常時は拝見できません。
御開帳されたら、絶対見に行きましょう!!
アクセスと詳細記事
- 阪急バス「薬師堂」から徒歩6分
弘法大師・空海ゆかりの京都のお寺③:東寺
最後は、南区にある世界遺産「東寺」。
東寺真言宗の総本山であり、和歌山県の高野山・香川県の善通寺と並び「弘法大師三大霊場」の一つに数えられています。
東寺は平安遷都の2年後(796)に創建された官寺で、823年、嵯峨天皇は空海に東寺を託しました。
官寺であった東寺は真言密教の根本道場となり、50人もの真言宗僧侶が入寺。
その後、空海は講堂・五重塔の造営に着手し、東寺の伽藍は整えられていきました。
828年、空海は日本初の私立学校となる「綜芸種智院」を境内に開校し、一般にも開放しました。
なお、綜芸種智院は、空海の入定後にすぐに廃絶しています。
講堂内には、大日如来を中心とする21体の仏像が安置されており、一般的に「立体曼荼羅(羯磨曼荼羅)」と呼ばれています。
空海が密教の教えを分かりやすく伝えるために作ったもので、ド迫力の仏像がズラリと並んでいる光景は圧巻。
常時公開されているので、東寺を訪れた際はぜひ拝観してみてくださいね!
国宝「御影堂(大師堂)」は、空海の住房だったというお堂です。
北側に国宝「弘法大師坐像」が安置されており、堂内に入って拝むことが出来ます。
東寺の御詠歌
「身は高野 心は東寺に 納めおく 大師の誓い あらたなりけり」
高野山・奥之院に入定している空海の心は、今も東寺にあるとされており、毎朝6時にはお膳をお供えする「生身供」が行われています。
生身供では、弘法大師坐像が御開帳されるので、早起きして法要に参加してみてはいかがでしょうか。
※毎月21日(御影供)は終日御開帳されます。
御影堂の南側には、国宝の「不動明王坐像」が祀られています。
この不動明王は、空海の自作・念持仏と伝えられ、平安末期に東寺長者が像の修復を行ったところ、長者がすぐに死亡してしまったため、それ以降は一切公開されていません。
下の画像は、明治頃に撮影されたとみられる不動明王坐像の貴重なお姿です。
恐らく、今後も御開帳されることは無いでしょう。
空海の月命日にあたる「毎月21日」には、弘法市が行われ、境内に露店が立ち並びます。
一般的に「弘法さん」と呼ばれており、地元の方々をはじめ、非常に多くの人々が訪れます。
面白いものがたくさん売られているので、機会があれば行ってみてくださいね!
アクセスと詳細記事
- 京都市営バス「東寺東門前」から徒歩すぐ
- 京都市営バス「東寺西門前」から徒歩すぐ
- 京都市営バス「東寺南門前」から徒歩約3分
- 京都市営バス「東寺道」から徒歩約7分
- 近鉄京都線「東寺駅」から徒歩約5分
- JR「京都駅」から約15分
弘法大師・空海ゆかりの京都のお寺まとめ
以上、空海ゆかりの3ヵ寺の紹介でした。
少しでも空海について知ってもらえたでしょうか。
次は「空海伝説」が残る寺社をまとめたいと思っていますので、よかったら読んでみてくださいね〜!