こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
日本仏教の母山と呼ばれている比叡山は、浄土真宗の「親鸞聖人」、日蓮宗の「日蓮聖人」、曹洞宗の「道元禅師」などなど…宗祖や高僧を数多く輩出してきました。
浄土宗の宗祖である「法然上人」もその一人で、比叡山の黒谷にある「青龍寺(せいりゅうじ)」は、上人が25年間、修行に励んだ聖地とされています。
この記事では、青龍寺で頂いた2種類の御朱印を中心に、青龍寺への道のりや歴史、境内の様子などをお伝えしたいと思います!
比叡山黒谷・青龍寺の御朱印について
お寺は無人の場合があるので、参拝前に電話で確認・予約を行うことを強くオススメします。
電話番号:075-722-1300
阿弥陀如来の御朱印
法然上人ゆかりの地をめぐる「法然上人二十五霊場」の特別霊場の御朱印です。
中央には、御本尊である「阿弥陀如来」が墨書きされています。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:阿弥陀如来
左側:浄名山 青龍寺 - 朱印
右側:圓光大師廿五霊場 特別霊場
中央:比叡山黒谷 報恩蔵
左側:黒谷 青龍寺
私は、法然上人二十五霊場の専用御朱印帳にいただきました。
苦労して頂いた御朱印。喜びもひとしおです。
中央の朱印「報恩蔵」については、下のほうで説明したいと思います!
御詠歌の御朱印
法然上人二十五霊場の御詠歌の御朱印です。
仏教やお寺の教えを「五・七・五・七・七」の和歌にしたもの。
- 墨書き
たつ杣や 南無阿弥佛の 声引くは 西にいざなう 秋の夜の月 - 朱印
右側:圓光大師廿五霊場 特別霊場
中央:比叡山黒谷 報恩蔵
左側:黒谷 青龍寺
青龍寺の御詠歌
「たつ杣や 南無阿弥陀佛の 声引くは 西にいざなう 秋の夜の月」
この記事を書いている時に気付いたのですが、御朱印に阿弥陀の「陀」字が入っていませんでした。
あえてなのか、書き忘れなのかは謎です。
私が京都府内で頂いた「御詠歌の御朱印」は、コチラの記事にまとめています!
色々なお寺の御詠歌を見たい方は、ぜひチェックしてみてくださいね!
ちなみに、御朱印の挟み紙には、法然上人のイラストと共に、上人が晩年に語ったお言葉「念仏の声するところ みなことごとく わが遺跡なり」が書いてありました。
とてもいいお言葉ですね。
南無阿弥陀仏。
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御朱印が頂ける場所
堂内は無人だったので、堂脇に吊るしてあった版木を叩き、お寺の方を呼んで御朱印を頂きました。
せっかくなので、もう少しお寺の方に話を聞けばよかったです…。
比叡山黒谷・青龍寺ってどんなお寺?
青龍寺への道のり
今回、私は八瀬にある登山口(黒谷道)から青龍寺を目指してみました。
比叡山・山内シャトルバスの「峰道」から下って行った方が近い&楽なのですが、あえて登山ルートで。
道はあまりキツくないのですが、全く人がいない山道でケガしたら終わりなので、念には念を入れてトレッキングポールを装備。
ところどころ滑るところがあったので、結構役にたちました。
「もしかしたら、法然上人もこの道を通ったのかなぁ」と思いつつ、ひたすら歩くこと約1時間…。
青龍寺に到着!!!
とっても気持ちのいい登山ができました!
門の前には、お寺の方の車が止まっていたのですが、ここでとある疑問が。
「この車、どこから来たんだろう??」
周りを見渡しても、車が通れそうな道は無く・・・。
Twitterのフォロワーさん情報によれば、前方にあるこの道を通っているそうです。
幅がだいぶギリギリな気がする・・・。すごい・・・!
一般車の侵入は禁止となっています。
歴史
伝えによれば、青龍寺の起こりは平安時代。
第18代天台座主・良源(元三大師)によって建てられたとされています。
久安6年(1150)、18歳だった法然上人は、青龍寺の叡空を訪ねて入門。
承安5年(1175)に比叡山を下るまでの25年間、上人はこの地で仏道修行を重ねたと伝えられています。
室町時代には、天台真盛宗の宗祖である「真盛」もこの地で隠遁しており、青龍寺は「真盛上人二十五霊場」の第2番札所になっています。
青龍寺は「天台宗」のお寺なのですが、管理は浄土宗総本山「知恩院」が行っており、現在は「青少年修練道場」としても活用されています。
他宗派が管理しているお寺は初めて見ました。
宗派の垣根を超えた聖地なのでしょうね。
黒谷
青龍寺がある「黒谷」は、大黒天が出現したことに因んで名付けられた地名で、「大黒谷」が後に省略されて「黒谷」になったとされています。
京都で黒谷といえば「金戒光明寺(くろ谷さん)」がある地域ですが、実は比叡山の黒谷と関係があるのです。
承安5年(1175)、法然上人は比叡山を下り、岡崎の地に草庵(金戒光明寺)を建立。
比叡山の黒谷に対して、「新黒谷」と呼んだとされています。
この新黒谷が後に「黒谷」となり、比叡山の黒谷は「元黒谷」と呼ばれるようになったそうです。
一連の流れをまとめるとこんな感じ。
- 比叡山西塔の北谷に大黒天が出現し「大黒谷」と呼ばれる
- 大黒谷が「黒谷」と呼ばれるようになる
- 法然上人が比叡山黒谷を下り、岡崎の地に草庵を建立
- 岡崎の地は、比叡山黒谷に対して「新黒谷」と呼ばれる
- 新黒谷は「黒谷」、比叡山黒谷は「元黒谷」と呼ばれるようになる
なかなか複雑・・・(笑)
境内の様子
山の中にあるということで、境内は非常に自然豊か。
私以外の参拝者はいなかったので、清々しい落ち着く参拝ができました。
こちらが本堂。
堂内には、恵心僧都作とされる阿弥陀如来坐像をはじめ、維摩居士坐像や法然上人坐像などが安置されています。
他にも様々な仏像が安置されていてなかなか見応えがありました。
こちらは、御朱印にも描かれている「報恩蔵」。
法然上人が経蔵に籠もり、一切経(5048巻)を5回読んだという伝承に基づいて復元されたお堂です。
堂内には、阿弥陀如来のほか、経典の一部も納められていますよ!
比叡山黒谷・青龍寺へのアクセス
- 比叡山・山内バス「峰道」から約30分
- 京都バス「登山口」から約1時間
比叡山黒谷・青龍寺の基本情報
御朱印の値段 | 300円 |
宗旨 | 天台宗(知恩院が管理) |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
拝観料 | なし |
住所 | 京都市左京区八瀬秋元町946 |
公式HP | https://www.25reijo.jp/reijo/27.php |