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こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
京都市北区にある「雲林院(うんりんいん)」。
大徳寺の境外塔頭で、かつては巨大寺院だったお寺です。
この記事では、そんな雲林院で頂ける御朱印を中心に、歴史と境内の様子をご紹介いたします!
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雲林院の御朱印について
雲林院で頂ける「観自在」の御朱印です。
中央に押してある朱印は「紫野」でしょうか。
御朱印の内容
- 墨書き
右側:奉拝
中央:観自在
左側:紫野 雲林院 - 朱印
右側:十一面千手千眼観世音菩薩
中央:紫野
左側:雲林院
左下の「雲林院」の朱印がとてもステキですね〜!
私が訪れた時は、ご住職が不在だっため、書き置きで頂きました。
頂けるだけありがたいです!
【14寺社】大徳寺の本坊・塔頭と周辺寺社の御朱印まとめ京都市北区にある臨済宗大徳寺派大本山「大徳寺」の本坊・塔頭、周辺の寺社で頂ける御朱印の紹介です。大徳寺は塔頭寺院がたくさんあり、常時公開されているところから、めったに公開されないところまであります。この記事では、周辺の寺社を含めて、合計14寺社の御朱印をまとめて掲載します。...
雲林院ってどんなお寺?
歴史
雲林院の起こりは、平安時代初期。
第53代・淳和天皇が、狩猟場となっていた紫野に離宮「紫野院」を造営したのが始まりです。
その後、紫野院の名称は「雲林院」となり、仁明天皇の皇子・常康親王によって、千手観音を安置する寺院に改められました。
天台宗の僧・遍昭の奏請により、雲林院は官寺となり、元慶寺(西国番外札所)の別院(天台道場)として繁栄を極めました。
鎌倉時代に入ると、雲林院は徐々に衰退。
元亨4年(1324)、臨済宗の僧・宗峰妙超は、第96代・後醍醐天皇から雲林院の敷地を与えられ、大徳寺を創建しました。
広大な敷地を失った雲林院は、大徳寺の塔頭一つとして残っていましたが、応仁の乱によって焼失。
これにより、廃絶してしまいました。
現在の雲林院は、江戸時代の宝永4年(1707)に再建されたもの。
かつては巨大寺院だった雲林院も、現在は観音堂のみを残す小さなお寺となっています。
境内の花
境内には様々な花が咲いていて、とても心が落ち着きました。
特に蝋梅が大変キレイで、いい香りが漂っていました!
本当に美しい!
椿もいい感じ。
どれも大切に育てられていますね〜。
雲林院へのアクセス
- 京都市営バス「大徳寺前」から徒歩約1分
雲林院の基本情報
御朱印の種類 | 通常1種類 |
御朱印の値段 | 300円 |
宗旨 | 臨済宗大徳寺派 |
御本尊 | 十一面観音 |
住所 | 京都市北区紫野雲林院町23 |
公式HP | なし |
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