こんにちは、nobo(@kyoto_gosyuin)です。
京都市中京区に「六角堂」として有名な頂法寺というお寺があります。
このお寺はあの聖徳太子が創建したと伝わっており、西国三十三所や洛陽三十三所観音霊場の札所になっています。
今回はこの六角堂の御朱印や歴史、見どころなどについて詳しく紹介します。

もくじ
六角堂の御朱印について
六角堂では、通常5種類の御朱印をいただくことが出来ます。
朱印料はすべて300円。

1.西国三十三所第18番の御朱印
西国三十三所第18番札所の御朱印です。
左上の印は草創1300年記念のものです。

こちらは平成29年9月10日に行われた月参り巡礼の際に頂いた御朱印です。
右下に観音菩薩像をイメージした特別な印が押してあります。

2.御詠歌の御朱印
西国三十三所第18番札所の御詠歌の御朱印です。
「わが思ふ 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」

前の札所:西国三十三所17番「六波羅蜜寺」の御朱印

次の札所:西国三十三所19番「行願寺」の御朱印



3.洛陽三十三所観音霊場第1番の御朱印
洛陽三十三所観音霊場第1番札所の御朱印です。


次の札所:洛陽三十三所観音霊場第2番「誓願寺」の御朱印



4.聖徳太子御遺跡霊場の御朱印
聖徳太子御遺跡二十八ヶ所霊場第25番札所の御朱印です。
「太子守本尊」の墨書き、中央の印には「王城ノ中心」と書いてあります。


5.石不動明王の御朱印
「石不動尊」と墨書きされた御朱印です。


納経所
御朱印はすべて境内にある納経所で貰えます。
時間は8:00〜17:00。


六角堂ってどんなお寺?
御本尊
御本尊は如意輪観世音菩薩を祀り、西国三十三所第18番・洛陽三十三所観音霊場第1番の札所に指定されています。
また、札所ではありませんが、京の通称寺巡りの1つでもあります。


歴史
587(用明天皇2)年、聖徳太子が大阪に四天王寺を建立するための材料を求め、この地を訪れました。その際、念持仏として持っていた如意輪観音像を木の枝にかけたところ、突如として観音像が重くなり動かなくなりました。
そして、観音像に「この地で人々を救いたい」と告げられた聖徳太子は、六角形のお堂を建立し、観音像を祀りました。これが六角堂の始まりとされています。


六角堂と親鸞
六角堂には、浄土真宗の宗祖として知られる「親鸞」の逸話が残されています。
鎌倉時代の1201年(建仁元年)、29歳だった親鸞は、六角堂に100日間参篭することを決めました。
夜は比叡山から六角堂へ下り、朝になると比叡山に上る…これを繰り返しました。
95日目の暁に親鸞は如意輪観音のお告げを受け、浄土宗の祖・法然の専修念仏に帰依。
その後、親鸞は法然の教えを継承し、浄土真宗の祖となったといいます。


京都の中心「へそ石」
境内には、「へそ石」と呼ばれている六角形の石があり、この石にはとある伝説が残されています。
794(延暦13)年の平安遷都の際、六角堂は大通りの塞いでいたため、都市開発に支障をきたしました。
そこで、桓武天皇が祈ったところ一夜にして六角堂が自ら北へ五丈(15m)動いたといわれています。
その際、お堂は動きましたがこの石は動くことはありませんでした。
この「へそ石」は、平安京造営の前からあったことや昔からほとんど場所が変わっていないことなどから、京都の中心と言われています。


いけばな発祥の地
六角堂はいけばな発祥の地としても有名で、「池坊」の家元は代々六角堂の住職が努めています。
池坊のいけばなには、立花・生花・自由花という三つの花形がありますが、そのうち最も古い立花を大成したのが、江戸時代初期に活躍した三十二世池坊専好です。当時の後水尾天皇が専好を重用し、寛永6年(1629)には京都御所の中心施設である紫宸殿で立花会がたびたび催されました。天皇の退位後も専好は仙洞御所で立花を立て続け、それらを描いた絵図が多く伝わっています。
立花の大成者 三十二世池坊専好
石不動明王
境内の一角には、石不動明王を祀るお堂があります。


すごい怒りの形相をしています。


アクセス
- 京都市営バス”四条烏丸”より徒歩約6分
- 京都市営地下鉄烏丸線”烏丸御池駅”より徒歩約6分
- 阪急電鉄京都線”烏丸駅”より徒歩約4分