中京区

行願寺(革堂)の御朱印を5種類紹介!

行願寺の御朱印情報
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行願寺(革堂)の御朱印について

御朱印の基本情報
  • 御朱印の種類:5種類
  • 御朱印の納経料:300円
  • 時間:8:00〜17:00

行願寺では5種類の御朱印を頂くことが出来ます。

行願寺の御朱印の一覧

1.西国三十三所の御朱印

西国三十三所第19番札所の御朱印です。
左上の朱印は草創1300年の記念朱印。

行願寺の西国三十三所の御朱印

2.西国三十三所御詠歌の御朱印

西国三十三所第19番札所の御詠歌の御朱印です。
「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」と書いてあります。
意味は「世の健やかな生命の営みを見て昔の因業を思い起こし、今は仏に帰依して滅罪の望みを得てみると、菩提を弔った多くの霊も安らかに成仏してくれたことであろう。」
左上の朱印は同じく草創1300年記念朱印。

行願寺の御詠歌の御朱印

私が京都府内で頂いた「御詠歌の御朱印」は、コチラの記事にまとめています!
色々なお寺の御詠歌を見たい方は、ぜひチェックしてみてくださいね!

京都の御詠歌の御朱印
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3.洛陽三十三所観音霊場の御朱印

洛陽三十三所観音霊場第4番札所の御朱印です。

行願寺の洛陽三十三所観音霊場の御朱印

1つ前の札所:洛陽三十三所観音霊場第3番「護浄院」の御朱印情報

護浄院の御朱印
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1つ次の札所:洛陽三十三所観音霊場第5番「新長谷寺」の御朱印情報

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4.神仏霊場巡拝の道の御朱印

神仏霊場巡拝の道第114番(京都34番)札所の御朱印です。
神仏霊場巡拝の道専用御朱印帳以外にも書いてもらえるかは不明です。

行願寺の神仏霊場巡拝の道の御朱印
神仏霊場巡拝の道の御朱印帳情報神仏霊場巡拝の道とは? 神仏霊場巡拝の道は近畿地方の150社寺+伊勢神宮を巡る霊場です。神と仏を区別すること無く等しく、参拝をする...

5.寿老人の御朱印

都七福神めぐり・寿老人(寿老神)の御朱印です。

行願寺の寿老人の御朱印

都七福神の大護符(色紙)に頂いた寿老人(寿老神)の御朱印

行願寺の寿老神の御朱印

都七福神を巡ろう!

都七福神は、七福神を祀る「京都府内の7社寺(1社6寺)」を巡礼する行事。

日本各地で行われている七福神巡りの中で、最も古い歴史をがあります。
1月中に巡礼すると、「七難即滅・七福即生」極まりなしといわれ、特に福がもたらされるといいます。

記事を参考にして、みなさんも巡礼してみてくださいね!

都七福神
「都七福神」とは?各社寺の御朱印や専用の色紙・御朱印帳も紹介!日本最古の七福神巡りとされる「都七福神(みやこしちふくじん)」は、京都府内にある7社寺を巡礼する行事です。この記事では、4回巡礼している筆者が、歴史から専用の色紙と御朱印帳、各社寺の紹介まで圧倒的情報量でその魅力をお伝えします。幻の扇子についても触れています。...
都七福神の扇子

納経所

御朱印は本堂左側にある納経所で頂けます。

行願寺の授与所


行願寺(革堂)ってどんなお寺?

今回ご紹介する行願寺(ぎょうがんじ)は、京都市中京区にある天台宗延暦寺派のお寺。御本尊は行円上人作と伝わっている千手観音像を祀り、西国三十三所第19番や洛陽三十三所観音霊場第4番、神仏霊場巡拝の道第114番など多くの札所となっています。
また、寿老人神堂には都七福神めぐりの一つ「寿老人」を祀っています。

行願寺の山門

行願寺の歴史について

1004年(寛弘元年)、行円上人が一条小川にあった一条北辺堂を復興させ、行願寺と名付けたのが当寺の起こり。
行願寺という寺名には「願い行じる」という意味が込められてるそうです。
行願寺は戦乱などで何度も焼失と再建を繰り返し、1590(天正18)年の豊臣秀吉公による都市改造計画の一環で寺町荒神口に移転。
1708(宝永5)年、宝永の大火による焼失後現在地に移転しました。

行願寺の本堂

行願寺はとあるエピソードから革堂と呼ばれるようになりました。
仏門に入る前、狩猟を生業にしていた行円上人が山で雌鹿を射たところ、お腹から子鹿が産まれました。それを見た行円上人は改心し、仏門に入ったといわれています。
行円上人は死んだ雌鹿の革を常に身につけ、人々から「皮聖」「皮聖人」などと呼ばれていたそうです。

行願寺の石

都七福神の寿老人

こちらは都七福神めぐりの「寿老人」を祀る寿老人神堂は、安土桃山時代に建立されたお堂です。
堂内には同じく安土桃山時代に造られた寿老人像が安置されており、豊臣秀吉公が万人快楽のために奉納したと伝わっています。
御真言「オンバザラユゼイソワカ」を三回唱えると福寿吉運を授かるといわれています。

行願寺の寿老人神堂

寿老人神堂の向かって右側には七福神さんたちが横一列に並んでいます。
私が訪れた時はとても寒かったのですが、七福神さん達は手編みのニット帽やマフラーなどを着用していたので、とても暖かそうでした。

行願寺の七福神


幽霊絵馬伝説

1816(文化13)年、行願寺近くの八左衛門のところでお文という少女が奉公として働いていました。お文はとても働き者で、よく行願寺で八左衛門の子供の子守をしていました。
お文はお堂から聞こえてくる御詠歌を自然に覚え、口ずさむようになりました。熱心な法華信者だった八左衛門は大激怒、少女を殺し庭に埋めました。
少女の行方を探しにきた両親に八左衛門は「失踪した」と嘘を付きました。当然納得が行かない少女の両親は行願寺の千手観音に娘の無事を祈願しました。
すると、お文の亡霊が現れ「八左衛門に殺されて庭に埋められた。」と両親にお告げをしました。その後、庭かわ少女の遺体が発見され、八左衛門は処刑されました。
少女の両親は娘の姿を絵馬に書き、行願寺に奉納しました。絵馬の後ろには、お文が奉公に出る際に両親が贈った大切な手鏡が埋め込まれています。
この幽霊絵馬は毎年8月22~24日に行われる幽霊絵馬供養の際に拝観することが出来ます。

行願寺の宝物館幽霊絵馬などが所蔵されている宝物館

行願寺(革堂)へのアクセス

  • 京阪鴨東線「神宮丸太町駅」から徒歩約6分
  • 京都市営バス「河原町丸太町」から徒歩約5分

関連リンク

西国三十三所公式HP 行願寺