こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
京都市東山区の泉涌寺山内にある「悲田院(ひでんいん)」。
泉涌寺の塔頭寺院で、真言宗泉涌寺派の準別格本山でもあります。
この記事では、そんな悲田院で頂ける御朱印を中心に、ちょっと以外な起源から、境内の様子などについてもご紹介いたします!
悲田院(京都)の御朱印について
- 御朱印の種類:通常2種類
- 御朱印の朱印料:300円
悲田院では、通常2種類の御朱印が授与されています。
阿弥陀如来は御本尊で、毘沙門天は泉山七福神めぐりの第6番札所になっています。
- 阿弥陀如来の御朱印
- 毘沙門天の御朱印
阿弥陀如来の御朱印
御本尊「阿弥陀如来」の御朱印です。
本堂内には、御本尊の「阿弥陀如来立像」の他、快慶作と伝わる「宝冠阿弥陀如来坐像」も安置されています。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:阿弥陀如来
左側:施薬山 悲田院 - 朱印
右側:聖徳太子御開創 甘露殿
中央:梵字(キリーク)。
左側:洛東泉涌寺 悲田院
右上には、「聖徳太子御開創」の朱印が押してあります。
甘露殿の意味については不明。本堂のことでしょうか?
御朱印が頂ける場所
御朱印は、本堂正面脇のコチラで頂けます。
基本的に無人のようで、設置してあるインターホンを押すと対応してくださいます。
悲田院(京都)ってどんなお寺?
歴史
延暦13年(794)の平安遷都後、平安京の東西には、身寄りのない子供や病人などを収容するための福祉施設「悲田院」が設置されました。
寺伝では、聖徳太子が悲田院を開いたとしています。
その後、東西2つの悲田院は廃絶しますが、仁安3年(1308)、無人如導が上京区に「四宗兼学の寺」として再興し、悲田院の名を引き継いだといいます。
なお、福祉施設としての「悲田院」とお寺としての「悲田院」の関係性については、不明な点が多いそうです(駒札)。
室町時代になると、第102代・後花園天皇は悲田院を勅願寺とし、天皇が亡くなった際には、悲田院で葬儀や荼毘が行われたと伝えられています。
現在地に移されたのは、江戸時代の正保2年(1645)。
明治期に泉涌寺塔頭「寿命院」と合併され、現在に至っています。
境内の様子
悲田院へは、こちらのクネっと曲がった階段を通って行きます。
そこまで長くないです。
階段を登り終え、右に向かうと朱色の山門がお出迎え。
人も少なく、とても静かで落ち着く雰囲気です。
入口近くには、真言宗の宗祖・弘法大師空海の像が立っていました。
ちなみに、泉涌寺山内の「泉涌寺」「今熊野観音寺」「来迎院」「善能寺」は、空海によって創建されたと伝えられていますよ〜。
こちらは恐らく水かけ地蔵。
私の前に参拝されていた方も、水をかけて拝まれてました。
なかなか魅力的な龍。
魅力的なワンちゃんも。
本堂右奥からは、京都市街地を一望することが可能です。
なかなかいい景色なので、参拝の際はぜひ見てみてくださいね!
京都タワーもバッチリ見えますよ!
悲田院(京都)周辺の寺社情報
悲田院の周辺には、総本山「御寺・泉涌寺」や西国三十三所の札所である「今熊野観音寺」、とっても大きな釈迦如来像を安置する「戒光寺」などがあります。
ぜひ、記事を参考にして参拝してみてくださいね!
悲田院(京都)へのアクセス
- 京都市営バス「泉涌寺道」から徒歩約11分
- 京阪本線・JR奈良線「東福寺駅」から徒歩約17分
悲田院(京都)の基本情報
御朱印の種類 | 通常2種類 |
御朱印の値段 | 300円 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗旨 | 真言宗泉涌寺派 |
拝観料 | 境内自由 |
札所等 | 泉山七福神めぐり第6番 |
住所 | 京都市東山区泉涌寺山内町27 |
公式HP | なし |