こんにちは、nobo(@nobo_kyoto)です。
京都市北区にある大徳寺塔頭「総見院(そうけんいん)」。
豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔って創建したお寺として有名です。
通常時は非公開であり、春や秋などに特別拝観を実施しています。
この記事では、2021年秋の特別拝観時に頂いた御朱印を中心に、歴史や織田信長の木像・お墓などについてもご紹介いたします!
信長好きの方には、ぜひ参拝していただきたいお寺ですよ〜!
総見院の御朱印について
- 御朱印の種類:通常1種類
- 御朱印の朱印料:300円
総見院では、通常1種類の御朱印が授与されています。
施無畏の御朱印
総見院で頂ける「施無畏」の御朱印です。
説明書によると、施無畏は「何ものをも恐れない力を与えること。さまざまなおそれを取り除いて、安心させること。」という意味があるそうです。
- 墨書き
右側:奉拝、日付
中央:施無畏
左側:総見院 - 朱印
中央:*無本師(?) 釈迦如来 大**
御朱印は書き置きのみの対応でした。
頂けるだけでも嬉しいですね。
中央の朱印はいくつか読めませんでした。
頂いた時に聞いておけばよかった・・・。
御朱印は「拝観受付」で授与されています。
書き置きの御朱印の保管には、フィルムで挟むだけの「御朱印ホルダー」や差し込むタイプの「書き置き御朱印 専用御朱印帳」などがオススメですよ〜!
総見院ってどんなお寺?
歴史
天正10年(1582)6月、本能寺に宿泊していた織田信長は、家臣・明智光秀による謀反「本能寺の変」で命を落としました。
同年10月、豊臣秀吉は大徳寺で信長の葬儀を盛大に行ったと伝えられています。
翌天正11年(1583)、信長の一周忌に合わせ、秀吉は「信長の菩提寺」として総見院を創建。
臨済宗の僧「古渓宗陳」を開祖とし、寺名は信長の戒名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」から名付けられました。
創建当初は広大な境内があり、様々なお堂が建てられていました。
しかし、明治初期の「廃仏毀釈」によって、お堂・宝物はほとんど失われ、一時は廃絶状態に。
現在のお堂は大正時代に建てられたもので、創建当初の建築物は、境外にある大きな鐘楼と入口の土塀を残すのみとなっています。
織田信長木像
総見院の一番の見所は、織田信長の木造坐像です。
作者は運慶・湛慶の流れをくむ仏師「康清」によるもので、天正11年の創建に合わせて造られました。
康清は生前の信長と会ったことがあるらしく、顔は信長に似せて造られたとのこと。
目はとってもキラキラ輝いていました。
上でも紹介した廃仏毀釈の際は、破却を免れるために本坊に避難。
信長の380年忌にあたる昭和36年(1961)、回廊に掲げられている「輿」で総見院に戻ってきたそうです。
実は、康清は信長像をもう1体造っており、そちらは信長の亡骸の代わりに火葬されたそうです。
材料は高級香木の「沈香」が使用され、火葬のいい香りは京都中に漂ったとのこと。
秀吉らしい派手な演出ですね。
信長一族の墓
境内の北側には、信長一族のお墓(五輪塔)が建ち並んでいます。
並び順は、左から「秀雄(信雄嫡男)、信雄(信長二男)、信長、信忠(信長嫡男)、秀勝(信長四男)、信髙(信長七男)、信好(信長十男)」。
信長のお墓には、樒が手向けられていました。
また、脇には信長の正室「濃姫」と側室「お鍋の方(興雲院)」のお墓もあります。
話によれば、大徳寺所蔵の文献によってお墓の主が明らかになったそうです。
墓所からは、信長が焼き討ちを行った比叡山がよく見えました。
ちなみに、信長のお墓は上京区「阿弥陀寺」にもあります。
ぜひ、阿弥陀寺も参拝してみてくださいね!
総見院周辺の寺社情報
総見院の周辺には、平安時代から疫病退散で有名な「今宮神社」や美しい枯山水庭園を拝観出来る「瑞峯院」などがあります。
また、船岡山には織田信長を祀る「建勲神社」も鎮座していますよ!
記事を参考にして、ぜひ併せて参拝してみてくださいね〜!
総見院へのアクセス
- 京都市営バス「建勲神社前」から徒歩約6分
- 京都市営バス「今宮神社前」から徒歩約4分
総見院の基本情報
御朱印の種類 | 通常1種類 |
御朱印の値段 | 300円 |
宗旨 | 臨済宗大徳寺派 |
拝観料 | 有料 |
住所 | 京都市北区紫野大徳寺町59 |
京都春秋HP | https://kyotoshunju.com/temple/daitokuji-sokenin/ |